「ミスをした自分」を裁くのは、今じゃなくていい
朝、トレーをひっくり返して、愛着のフクロウ柄の皿を割りました。
ガシャーン。その音と同時に、心臓をギュッと握りつぶされたような感覚が走ります。頭に浮かんだのは「やってしまった」と、その直後の「片づけるの面倒だな~」でした。
耳の奥ではまだ音が鳴っているのに、体は固まって動きません。
そんな日に限って、失敗は続きます。夕方には刻みネギのパックを床にぶちまけ、風呂では洗顔料を床に流してしまい。そのたびに胸が縮んで、「どうして私はこうなんだろう」という声が、だんだん大きくなっていきました。
ミスをした直後、本当にしんどいのは、ミスそのものより、そのあとの「自分を責める時間」のほうではないでしょうか。
ミスのあとに聞こえてくるのは、反省の声ではありません。追い打ちの声です。
「何を見てたんだろう」
「手の感覚、老いてきたな」
割れた皿よりも、その声のほうが、ずっと深く刺さります。
責めている間は、手もこわばります。次の作業が雑になって、また何かをこぼしてしまう。裁いている時間が、次の失敗を呼んでしまうのです。
そんなとき思い出すのが、マラソンの谷口浩美選手です。バルセロナ五輪で転んで靴が脱げても、また走り出して8位。レース後に残したのは「こけちゃいました」のひと言でした。
転んだ瞬間に自分への判定を下していたら、あの走りはなかったはずです。判定は、ゴールしてからでいい。
「最悪だ」と叫びたくなる場面です。それでもあのひと言には、自分を断罪する響きがありません。起きたことを、起きたこととして受け取っているだけに、私には聞こえます。
今のあなたにはない。
皿を割った日、私が自分にかけたのは、この言葉でした。
これだけで、握りつぶされていた心臓が、少しずつ元の大きさに戻っていきました。
自分を責める量を、適量に戻す。まずは深呼吸をして、足元の欠片を片づける。裁くのは、夜でも、明日でも、レースが終わってからで十分です。
ミスのあとも消耗しない働き方のコツを、メルマガで書いています。
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