ひとりっ子・長女専門|時間と力を“取り戻す”キャリア支援

【ミスのあと自分を責めがちな人へ】次の失敗を呼ばない、朝の一言

  
【ミスのあと自分を責めがちな人へ】次の失敗を呼ばない、朝の一言
\ この記事を共有 /
【ミスのあと自分を責めがちな人へ】次の失敗を呼ばない、朝の一言

【ミスのあと自分を責めがちな人へ】次の失敗を呼ばない、朝の一言

朝食後、娘の食器棚の開け方が気になって、注意しようとしたら、自分が運んでいたお盆をひっくり返して、長年愛用してきたフクロウ柄の皿を割ってしまいました。

ガシャーン。その音と同時に、心臓をギュッと握りつぶされたような感覚が走ります。頭に浮かんだのは「やってしまった」と、その直後の「片づけるの面倒だな~」でした。

耳の奥ではまだ音が鳴っているのに、足の裏が床に貼りついたように、体は固まって動きません。

二十年ほど前、高島屋の食器市で夫の分と二枚買った皿です。長く使ううちに一枚が割れ、それからいろいろな店で似た質感の絵柄を探していますが、いまだに見つかりません。

そんな日に限って、失敗は続きます。夕方には刻みネギのパックを床にぶちまけ、風呂では洗顔料を床に流してしまい。そのたびに胸が縮んで、「どうして私はこうなんだろう」という声が、ラジオの音量つまみを回すみたいに、だんだん大きくなっていきました。

ミスをした直後、本当にしんどいのは、ミスそのものより、そのあとに始まる「ひとり反省会」のほうではないでしょうか。今日は、その時間を短くする一言をお伝えします。

この反省会に、議長はいません。聞こえてくるのは、反省の声ではなく追い打ちの声です。

「何を見てたんだろう」

「手の感覚、老いてきたな」

割れた皿よりも、その声のほうが、ずっと深く刺さります。

責めている間、手は止まっていないのに、動きだけがこわばります。次の作業が雑になって、また何かをこぼしてしまう。裁いている時間が、次の失敗を呼んでしまうのです。

そんなとき思い出すのが、マラソンの谷口浩美選手です。バルセロナ五輪で転んで靴が脱げても、また走り出して8位。レース後に残したのは「こけちゃいました」のひと言でした。

私がこの話を知ったのは高校生の時、陸上部の朝練習の始まりに、コーチが訓話として話してくれたのです。

あれほど緊張する場面で思いもよらぬトラブルに遭いながら、まるで想定内のような心持ちで、その瞬間にやるべきこと、靴を履き直し、体勢を整えてレースに戻る。まだ学生だった私は、人生は何事もこの精神で挑むべきなんだな、と心に刻みました。

転んだ瞬間に自分への判定を下していたら、あの走りはなかったはずです。判定は、ゴールしてからでいい。

「最悪だ」と叫びたくなる場面です。それでもあのひと言には、自分を断罪する響きがありません。起きたことを、起きたこととして受け取っているだけに、私には聞こえます。

失敗を裁く権利は、
今のあなたにはない。

皿を割ったあと、しばらくして、私が自分にかけたのは、この言葉でした。

「人に怪我をさせたんじゃない。物を壊しただけ」

残念な顔をしていた子どもたちも夫も、ちゃんと時間通りに出かけていった。その背中を見送ったころには、握りつぶされていた心臓が、少しずつ元の大きさに戻っていきました。

朝はどうしてもバタつきます。でも、失敗やトラブルは最初から一日の予定に含まれている、と思っておくと、不思議と心が慌てなくなります。

自分を責める量を、適量に戻す。まずは深呼吸をして、足元の欠片を片づける。裁くのは、夜でも、明日でも、レースが終わってからで十分です。

時間が経つにつれて、愛してきた皿を失ったことも、ただの日常の出来事に変わっています。

ミスのあとも消耗しない働き方のコツを、メルマガで書いています。

無料でメルマガに登録する